和歌山城

徳川吉宗を輩出した紀州徳川家の城


当初は浅野氏により下見板張りの3重天守が上げられていたが1847年落雷により焼失。
その後、5重天守を再建しようとするも幕府の許しを得られず、3重の天守が再建されることとなった。
その天守も昭和に空襲により焼失し、その後、コンクリートで再建された。
御三家の城(名古屋城、和歌山城、水戸城)の天守は全て戦災で失われたことになる。


大手門。明治42年に倒壊したが、古写真をもとに復元された。
枡形門の石垣遺構。和歌山城は大半の建物を失っているものの、石垣はよく残っている。
和歌山城に現存する唯一の土塀。早く修復されることを望む!
石垣だけでも圧巻である。
豊臣、浅野時代初期の緑泥片岩を用いた野面積石垣。光沢のある緑の岩で美しい。
石垣の芸術。
地面も緑泥片岩が敷き詰められている。
場内2位の高さを持つ高石垣。
こちらは場内1位の高さを持つ高石垣。櫓は建てられなかった。
和歌山城天守。
正面から。
天守最上階から見る天守曲輪。かなり広い。少しでも天守を大きく見せようと頑張ったのだろう。
和歌山城天守の多聞櫓は長い。
向かい側にある市役所の展望ロビーから見る和歌山城天守は凄かった。しかしガラスが反射して撮影に失敗してしまった・・・
現存する岡口門。重要文化財。
現存する追廻門。こちらは何故か重要文化財に指定されていない。
復元された御橋廊下。二の丸と西の丸を結んでいた。藩主とお付きの人のみが通れ、その先には大奥があった。
御橋廊下内部。足が痛くなる床である。
名古屋城同様、天守の焼失が悔やまれる城である。その他、二の丸御殿の一部が大阪城本丸に移築されていたものの、戦後米軍の失火で焼失してしまった・・・


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