名古屋城
尾張名古屋は城で持つ
徳川家康が九男の徳川義直の為の築城を名目に、外様大名に作らせた城。
以後、徳川御三家の筆頭である尾張徳川家の居城として用いられる。
徳川の城の多くは江戸初期に天守を焼失する中、昭和に空襲で焼失するまで天守が現存していたことで有名。
もし空襲の被害を免れていれば姫路城を超えていたとも言われている。
加藤清正像。名古屋城天守台を築いた。
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現存する戌亥隅櫓。清州城小天守を移築したものという伝承があり、清州櫓とも呼ばれる。かなり大型の櫓。 | |
戌亥隅櫓背面。 | |
戌亥隅櫓内部。 | |
壁の仕組み。 | |
小型の天守なみの広さがある。 | |
戌亥隅櫓から見る天守。 | |
名古屋城天守側面。 | |
名古屋城遠景。 | |
桜が満開だった。 | |
正門。江戸城の蓮池御門を移築したものがあったが空襲で焼失。コンクリートで復元されている。 | |
名古屋おもてなし武将隊のみなさん。 | |
手前は現存する西南隅櫓。濃尾大地震(明治24年)で石垣と共に崩壊するも復旧される。かつて本丸の周りを囲んでいた多聞櫓群もこの時倒壊し、それは復旧されなかった。 | |
美しい天守。 | |
表二の門。本来は枡形門で、その奥にあった表一の門は空襲で焼失。 | |
名古屋城は空掘が多い。広大な石垣とセットで用いると水掘りより防御力が高いらしい。 | |
空掘の底には鹿がいた・・・ | |
空掘に咲く桜。 | |
現存する東南隅櫓。本丸には三つの櫓が存在していたが、東北隅櫓は空襲で焼失してしまう。 | |
東南隅櫓内部。かなり広い。 | |
名古屋城小天守。空襲で焼失し天守と共に再建された。 | |
名古屋城天守。姫路城より高く、江戸城よりも底面積は広い。 | |
最上階の窓は天守を再建する際、見晴らしを良くするため本来の窓より大きく作られている。残念なことである。(そして巨大エレベーター・・・) | |
その巨大さに圧倒させられる。家康の図太さを象徴しているようだ。 | |
しかし気品を持っている。 | |
復元された金鯱。南側のこれは雌。雌の方が鱗の枚数が多い。空襲の際、金鯱を疎開させようとして天守に設けられた足場に、焼夷弾が引っかかってしまったという・・・ | |
こちらは北側の雄。雄の方が背が高い。 | |
金鯱には多くの盗賊伝説があるが一番の盗賊は藩主そのものだった。金鯱の金は藩の財政の危機を救っていたという。 | |
乃木倉庫。明治に作られた弾薬庫である。空襲の際、本丸御殿の取り外し可能な障壁画の一部はここに避難させられていたので無事だった。 | |
乃木倉庫内部。 | |
清正石。実際は黒田長政によって築かれた。 | |
名古屋城には加藤清正の像が二体もある。もし天守が現存していれば、名古屋城天守破却を食い止めた中村大佐とドイツ大使ブラントの顕彰碑が建っていたのだろうか。 | |
本丸東門二の門。一の門は空襲で焼失。 | |
謎の石棺。 | |
取り除かれた礎石。天守を再建する際、天守台にコンクリートの塊を埋め込んだり、それを埋める際水で土を溶かした結果、石垣を崩落させてしまったりと、かなり無茶したのだ。 | |
不明門。空襲で焼失し再建された。 | |
夕焼けと西南隅櫓。 | |
ライトアップされ始めた名古屋城。 | |
再建中の本丸御殿の完成が待ち遠しい。その後、天守が木造で復元されることを期待します。 |