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大洲城

肱川に佇む連結式天守の城


大洲城は鎌倉時代末期の1331年、宇都宮豊房によって築城される。
その後、藤堂高虎によって城は大改修され、脇坂安治によって4重天守が上げられた。
1617年、大阪の陣での戦功により加藤貞泰が入城、以後加藤氏の居城として用いられる。
明治時代になり天守を含む多くの建物が破却されるも、平成16年天守が再建された。


肱川(ひじがわ)からの光景。大洲城の石垣を築く際、「おひじ」という乙女を人柱にしたことから、肱川と呼ばれるようになったという伝説がある。
天守は珍しい4重天守。4は死を連想するので避けられた。
1843年の造営の苧綿櫓。洪水対策で本来のものより石垣を数メートル高く積む補修が行われた。
現存する下台所。
1766年再建の現存する三の丸南隅櫓。
三の丸南隅櫓一階。
三の丸南隅櫓二階。再建にあたって費用を抑え、荒い造りになっている。
天守礎石。天守再建にあたってここに移された。
発掘された別の礎石。かつて大洲城にはさらに巨大な天守が上げられていた可能性があるという。
絵図を本に復興された御門番長屋。
天守と現存する高欄櫓。
天守と現存する台所櫓。
天守は明治25年に破却されたが、古写真、雛型を本に正確に復元された。最上階ではなく2層目にのみ華頭窓になっているのは珍しい。
天守へは台所櫓から入る。
台所櫓内に展示されている天守の雛型。これはレプリカだが、天守の雛型が現存していたことで、天守の内部構造が判明した。
高欄櫓1階。
高欄櫓2階。
高欄櫓からの眺め。
天守一階。築城当時の天守を体感できる。木の香りが新鮮。
天守内のジオラマ。木を運んでいるところ。
石を採掘しているところ。
石を運んでいるところ。
天守を建てているところ。
展示されている天守の大きさ比較。四国の天守どれも小さい。(高松城天守は巨大)
大洲城の瓦。軒瓦は加藤氏の家紋である「蛇の目紋」の形になっている。
天守内部には吹き抜けがある。珍しい。中央の柱は心柱。
2階。
3階。
天守最上階。中央の柱は心柱で、天守の中央ではなく北に寄っている。
大洲城の鯱。鯱の目まで加藤氏の家紋の「蛇の目紋」になっている・・・
天守最上階の窓。
天守最上階から見る冨士山(とみすやま)。名前の由来は富士山に似ていることから。


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