大垣城

関ヶ原の戦いの舞台となった城


1560年、大垣城城主となった氏家直元は城に大改修を施す。
さらに1583年に池田恒興、1588年に一柳直末が入城し城を近代城郭へ改修し天守を上げる。
関ヶ原の戦いの際、城主伊藤盛正は西軍に属し石田三成は大垣城に入城。
その後東軍の包囲を受けて城は落城した。
1635年、戸田氏鉄が城主となって以降、戸田氏の居城となった。


この日、大垣祭りが行われていた。
大垣城はかつて広大な水掘りに囲まれていたが、明治以後全て埋め立てられてしまう。
戸田氏鉄の銅像。
外観復興された乾隅櫓。
戦災で焼失し外観復元された艮隅櫓。
艮隅櫓脇に移築された柳口門。
戦災で焼失し外観復元された大垣城天守。
天守を上げる際、工事を見物していた老いた山伏を人柱として埋めたという伝説がある。
天守最上階にある、戸田家の家紋入り太鼓。
天守最上階からの眺め。


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