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岡山城

宇喜多秀家が築いた漆黒の天守を持つ烏城


謀略家として有名な宇喜多直家は石山城に入城し城を改修した。
直家の子、宇喜多秀家は豊臣秀吉の指導の下、石山城の脇の岡山に本丸を築き、岡山城と改名する。
しかし秀家は関ヶ原の戦いで西軍に与し改易、八丈島に流罪となる。
変わって小早川秀秋が入城するも、彼は嗣子無くして早世する。
次に池田輝政の次男、池田忠継が城主となるも彼もわずか17歳で早世(毒まんじゅうが原因とする伝説がある)。
その後、輝政の三男、池田忠雄が入城し、池田氏の居城として明治まで用いられた。


岡山は桃太郎発祥の地。
旭川と岡山城。
白鷺城とも呼ばれる姫路城とは対照的にその黒さから岡山城は烏城とも呼ばれている。
正面から見る天守。巨大に見えるが、5重天守にしては小さい方。(20.5メートル)
鯱、上3層の瓦の縁には金箔が貼られている。
しかし下3層の瓦の縁には予算の関係か金箔は貼られていない。どうも中途半端な復元である。
天守台にある入り口は本来なかったもの。天守を再建する際石垣を破壊して作ったものである・・・(本来は左の塩櫓から入る)
戦災での焼失が惜しまれる。
五角形の不思議な形状をした天守である。安土城を模したとも言われている。
現存する月見櫓。文字通り月を観賞する為の櫓である。
月見櫓内部。この日特別公開されていた。
月見櫓2階。
月見櫓の高欄。
かつてこの下に壮大な御殿があった。
城から少し離れたところに現存する西之丸西手櫓。市街地に埋もれてしまっていて目立たないところにある。
廊下門。明治に破却され、昭和に復興された。空襲で焼失した石山門は復元されていない。
日本三名園に数えられる後楽園。美しかった。
夢に出てきそうな光景である。
後楽園から見る天守。
後楽園のシンボル的なアングル。
夕陽にあたって輝く天守。
金が反射して眩しい。
五重天守のある城はいいな。
黄昏時の岡山城。
ライトアップされ始めた天守。
岡山城城主となった小早川秀秋は、夜な夜な石田三成、大谷吉継の亡霊に悩まされ、次第に乱行を積むようになった。その乱行を諫言した家老の杉原重政を、秀秋は村山越中に命じて斬殺している。廊下に飛び散った重政の血は、どれほど拭いても決して落ちなかったという伝説がある。
満月と岡山城。


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