福知山城
明智光秀、丹波の拠点の城
1579年、織田信長の命により明智光秀は丹波攻略を行った。
この際光秀は横山城を占領し、福知山と命名して城の改修を行い、
福知山城は光秀の甥、秀満の居城として用いられた。
1669年、朽木稙昌が入封し、以後朽木氏の居城となった。
福知山城天守は明治6年に破却されたが、絵図、指図を本に外観復興された。(古写真が数枚残っているが不鮮明) |
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光秀時代の天守台の石垣。五輪塔や墓石が多く用いられている。 | |
石落し。 | |
小天守と大天守。 | |
二の丸から天守の脇に移築された、現存の銅門続櫓。 | |
銅門続櫓内部。 | |
豊磐井。深さは50m。 | |
絵図を本に復興された釣鐘門。 | |
福知山観光協会イメージキャラクター、秀光くんとひろこさん。忍タマの作者尼子騒兵衛によるもので、大人になったしんべヱに見える・・・ | |
武士の嘘を武略と言い、 仏の嘘を方便と言う。 土民百姓はかわゆきこと(かわいそう)なり ・・・ (光秀) |