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松江城

宍道湖の畔にたたずむ湖城。


1600年、関ヶ原の戦いの戦功により出雲、隠岐24万石を得た堀尾吉晴、忠氏父子は月山富田城に入城する。
しかし月山富田城は険しい山城であり、領国の東に偏った場所に位置していたため1607年、新たに松江城を築城する。
松江藩三代城主、堀尾忠晴に嗣子なく堀尾氏は改易され、1634年、新たに京極忠高が入城。
しかし忠高も嗣子無くして没したため、1638年、松平直政が18万6千石で入封。
以後、 松平氏の居城となる。


松江松平氏の初代城主、松平直政初陣像。
二の丸と堀。
明治8年に破却され、古写真をもとに再建された南櫓。
明治に破却された大手門跡。現在松江市は復元に向けて資料を探している。
復元された太鼓櫓(手前)と御貝足蔵と呼ばれた中櫓(奥)。
大手門(手前)を真横から監視する位置にある。
太鼓櫓背面。
太鼓櫓内部。太鼓で時を知らせていた。
南櫓背面。
南櫓内部。
松江若武者隊の武将と松江神社。
松江城天守。本来漆喰を全体に塗りたかったそうだが、予算不足の為、よく目立つ3層目のみ全面に塗られている。
天守の大部分は渋墨塗の板張りで覆われている。
天守の中に入るにはまず手前の付櫓に入らなければならない、実戦的な天守。
殿様と松江城天守。
堀尾吉晴は松江城の築城工事と同時に隠居し、自らは築城に専念した。しかし城が完成する直前に69歳で没してしまう。
松江城の鯱は銅板張木造鯱で高さ2.08メートル。
天守の穴蔵に展示されている江戸時代の鯱。
穴蔵にある井戸。
天守一階。
松江城天守の特徴は、柱が寄木柱であること。一本の松柱の外側に板を金具で留めて太い柱にしている。見た目は悪いが、こちらの柱の方が力学的に普通の柱より強く、コストが下がる。人目につかない天守内部で建設費用を節約していたらしい。
廃城願。「松江城は無用の贅物に属し、傷もあるので松江城を廃し、無益の入費を省いて現金に換えたい」と明治政府に願い出ている。この後すぐに松江城の破却が始まり、天守もわずか180円で売却されたが、松江城が失われることを惜しんだ旧藩士高城権八と豪農勝部本右衛門が天守を買戻し、松江城天守は破却を免れた。
天守二階。
展示されていた城下の模型。
江戸時代は町の中心が天守だったことがよくわかる。
天守3階。
本丸の模型。
天守4階。
天守最上階。後期望楼型天守の特徴通り、維持に大変な廻縁が室内に取り込まれている。
天守最上階からの眺め。
嵩山(左)と和久羅山。右を頭にして仏が寝ているように見えるので、寝仏さんとよばれている。
天守から見る宍道湖。
城を築城する際、鬼門にあたる石垣がどうしても崩れ落ちてしまった。そこに吉晴と顔見知りの虚無僧が現れ、彼の進言からその石垣の下を掘らせると髑髏が出てきた。虚無僧は息子を仕官させる条件に人柱になったという伝説がある。
また、城下で行われた盆踊りで最も美しく最も踊りのうまい娘をさらって人柱にしたともいう。その後盆踊りが行われるたびに城が揺れ動き、盆踊りが行われることはなくなったという伝説もある。
ギリギリ井戸跡。城の鬼門にあたるこのあたりで槍の刺さった髑髏が出てきたらしい。ギリギリとは頭頂部の「つむじ」の方言。
1638、新たな城主となった松平直政は天守に登ると最上階の天狗の間に恐ろしい美女がいた。彼女は人柱にされた娘の亡霊だった。彼女は「この城はわらわのものぞ!」と叫んだ。直政は「このしろが欲しければ明日にでもやろう」と答えると彼女は消えてしまった。次の日、直政は魚のコノシロ(鮗)を持参して天守に登り、彼女はそれを受け取ると二度と現れることはなかったという伝説がある・・・
天守脇の高石垣。ん?真ん中に何かいる・・・
ズーム。
さらにズーム。猫だった。
石垣を降りる猫。
幻想的な二の丸。
闇夜に浮かび上がる天守。
松平直政の亡霊。


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