丸亀城
一つの山が丸ごと要塞となった城。
丸亀城は1597年、生駒親正によって築城されるが、一国一城令により一度廃城となる。
その後山崎氏時代を経て、1658年に京極高和が入封。
高和により城は大改修され、以後京極氏の居城となった。
丸亀城遠景。この要塞化された石垣に圧倒される。 | |
天守(正式には御三階櫓)のまわりにあった櫓群は明治に破却され残っていない。 | |
現存する大手門。1670年頃に再建されたもの。 | |
大手一の門内部。 | |
太鼓門とも呼ばれ、太鼓で時を知らせていた。 | |
現存する御殿表門。その奥にあった御殿は明治二年に焼失。 | |
丸亀城の見どころは何と言っても石垣。 | |
すごい・・・ | |
まさに鉄壁。 | |
丸亀城築城の際、ある雨の降る夕暮れ時、たまたま通りかかった豆腐売りを人柱として生き埋めにしたという伝説がある。 | |
城の南側には野面積みの石垣が残されている。生駒時代は南側が城の表だったが、山崎時代に北側が表に変更された。 | |
二の丸の井戸。敵に買収されることを恐れ、丸亀城の石垣を築いた名石工、羽坂重三郎を生き埋めにして殺したという伝説がある。 | |
月見櫓跡。奥に見える山は讃岐富士。 | |
現存する丸亀城天守。 | |
京極高和により1660年に造営されたもの。 | |
天守内部。 | |
強度がありそう・・・ | |
天守最上階。 | |
天守は瀬戸内海を臨んでいた。 |