京都の社寺
金閣寺。足利義満が1397年に築いた別荘。当時は豪華な御殿もともに築かれていたが、応仁の乱で焼失してしまう。 | |
この立派な楼閣も、1950年に放火により焼失してしまった。 | |
鳳凰。美しい。 | |
金閣と比べると地味な銀閣。足利義政が1482年から造営を始めたもので、かつては黒漆が塗られていた。 | |
銀閣の向月台。 | |
龍安寺の方丈庭園。ただの石の庭に見えるが、日本人より外国人の方がこの良さが分かるらしい。 | |
こちらも金閣のそばにある仁和寺唐門。 | |
仁和寺二王門。 | |
仁和寺庭園。 | |
復元された書院。 | |
瓦。 | |
金堂。 | |
誰なのだろう? | |
仁和寺5重塔。 | |
三十三間堂。1165年に後白河上皇によって築かれた。その後焼失し、この本堂は1266年に再建されたもの。 | |
当時はこのように色鮮やかだった。 | |
平安神宮。平安遷都1100年を記念して平安京が復元された。場所は本来の所と異なっている。 | |
神楽殿。
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白虎楼。変わった形だ。
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大極殿。緑釉瓦が印象的。8分の5のサイズで復元された。 | |
西本願寺のそばにある、風俗博物館。源氏物語の世界が模型で再現されている。 | |
たしか清少納言。 | |
御殿内部。 | |
光源氏だったかもしれない人。 | |
平安時代はふっくらした丸顔が美男美女だった。てことは小野小町の顔は・・・ | |
原寸大の人形。 | |
当時の衣装を無料で着ることもできる。女性に大人気だった。(「あさきゆめみし」の影響か?) | |
平安時代に築かれた東寺。これは江戸時代に再建された京都最大の五重塔。 | |
東寺の近くにある梅小路蒸気機関車館。 | |
西本願寺御影堂。 | |
西本願寺経蔵。 | |
西本願寺太鼓楼。新撰組による刀傷が残り、実質的には見張り櫓である。 | |
西本願寺阿弥陀堂門。 | |
土塀には白い五本線が描かれている。天皇家とのつながりを表すためらしい。 | |
西本願寺唐門。伏見城遺構の伝承がある。 | |
西妃本願寺の隣にある興正寺。 | |
興正寺から見る西本願寺飛雲閣。年に数回しか公開されない。(しかも撮影禁止・・・) | |
西本願寺の大学である龍谷大学。大宮学舎本館で明治12年築。 | |
龍谷大学北黌。 | |
門はイギリスのアームストロング社製。これはレプリカで本物は東黌に展示されている。 | |
こちらは明治に再建された東本願寺御影堂門。京都三大門の一つで超巨大である。 | |
お東さんのローソク、京都タワー | |
南禅寺三門。 | |
三門の高覧。 | |
三門の高覧から見る風景。歌舞伎の中で石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな」と称賛した眺め。しかしこの門が建造されたのは1628年で、五右衛門が処刑されたのはそれより前の1594年である。 | |
伏見稲荷大社楼門。豊臣秀吉はここで母の病気が治るように祈願した。 | |
狛犬の代わりに狐の像がある。 | |
伏見稲荷大社は秦氏によって築かれた神社である。秦氏は渡来人であり、ユダヤ人であったという説があ。 | |
千本鳥居。ちなみに「トリイ」はヘブライ語のアラム方言で「門」の意味らしい。 | |
こういう道が延々と続く。 | |
この神社は鳥居の山である。 | |
神聖な空間。 | |
少しわき道にそれると、京都市内を一望できるスポットがある。 | |
ところどころで石も祀られている。 | |
おもかる石。この石の前で願い事を祈願し、その後この石を持ち上げ、思っていたよりこの石が軽ければその願い事は叶い、重ければ叶わないという。 | |
豊国神社。豊臣秀吉が祀られており、豊臣家滅亡後徳川家により破壊されるも、明治時代に再建。 | |
方広寺の梵鐘。日本一重くていわくつきの鐘である。 | |
「国家安康」「君臣豊楽」。方広寺は豊臣秀吉によって建立された寺である。その後地震により倒壊し、徳川家康の勧めにより豊臣秀頼によって再建された。その時作られた鐘の銘文を家康は大阪冬の陣を起こす口実とした。 | |
方広寺の仏像。かつて方広寺には東大寺をしのぐ巨大な大仏が築かれた。 | |
豊臣秀頼によって築かれた大仏殿内の天井にあった龍。 | |
彼は豊臣家の滅亡を目撃していた・・・ |