伏見城
豊臣秀吉が晩年を過ごした城。
伏見城は3度築かれた。
最初は豊臣秀吉が1592年に指月山に築城するも、1596年に慶長伏見地震で倒壊。
2度目はその翌年に木幡山に場所を移して再建されるも、関ヶ原の戦いの前哨戦で落城し焼失。
3度目は1602年に徳川家康によって再建されたが、大坂夏の陣の終結の後に廃城となった。
廃城の際、豊臣家の面影を消すために伏見城は徹底的に破却されることとなった。
現在伏見城があった場所のそばには模擬天守がある。かつて「伏見桃山キャッスルランド」という遊園地があったが、入場客減少により閉鎖し、模擬天守のみ残されることとなった。 | |
模擬天守、成金どもが、夢の跡・・・ | |
御香宮神社に移築された伏見城大手門。 | |
御香宮神社に展示してある伏見城石垣の残骸。 | |
御香宮神社付近の店に残る鳥羽伏見の戦いの弾痕。鳥羽伏見の戦いの際、薩摩軍は御香宮神社を陣営として用い、伏見奉行所の幕府軍と対峙した。この弾痕は北から南に発射されたものなので、おそらく薩摩軍のもの。(スペンサー銃か?) | |
伏見城血天井がある養源院。関ヶ原の戦いの前哨戦で伏見城が落城した際、切腹した鳥居元忠達の血天井がある。因みに養源院は淀殿が創建し、焼失後に江によって再建された。 | |
伏見城遺構と伝えられる金地院本殿。 | |
伏見城遺構と伝えられる、西本願寺唐門。 | |
伏見城遺構と伝えられる二条城唐門。 | |
伏見城遺構と伝えられる豊国神社唐門。伏見城には一体いくつ唐門があったのだ? | |
露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢・・・ (秀吉) |