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姫路城

池田輝政が築いた白鷺城。


この天守が現存するのはまさに奇跡!江戸時代の一国一城令、火災、落雷を免れ、
戊辰戦争では新政府軍に包囲されるも城門を一つ爆破されるだけで済み、
明治時代の廃城令では23円50銭で売られ、多くの櫓を破却されるも天守は瓦が大きすぎという理由で破却を免れ、
明治15年に天守の真下の本丸御殿が焼失した際も延焼を免れ、
昭和の姫路大空襲では焼夷弾の直撃を受けるも不発の為燃えなかったという、
恐ろしいほどの幸運を持つ天守である。現存する5重天守はこの姫路城と松本城の2基のみ。


桜門橋からみる天守。
復興された大手門。本来の大手門はこのようなものではなく、櫓門だったようだ。
三の丸広場から見る天守。江戸時代には天守は東南の方角(右側)に傾いており、そのため「東に傾く姫路の城は、花のお江戸が恋しいか」と謡われたという。
天守とリの一渡櫓。
姫路城を建てた棟梁、桜井源兵衛は天守の傾きを嘆き、天守最上階から飛び降りて自殺したという伝説がある。(城の秘密保持の為殺されたとも・・・)
昭和の修理で交換された江戸時代の西大柱。
カの櫓
菱の門。伏見城からの移築説あり。
菱の門をくぐったところにある中村大佐の顕彰碑。彼は西南戦争に従軍して熊本城の天守が焼失するのを目撃したという。全国で廃城令により城が破壊される中、せめて名古屋城と姫路城だけでも後世に残してもらいたいと山県有朋に懇願し、それが認められてこの2城は保存されることになった。(近年、中村大佐が懇願する以前からこの2城の保存は決まっており、彼はその費用を記載しただけではという説も出ている。実際はどうだったのか?)
三国掘からみる天守。
姫路城では様々な狭間が見られる。
姫路城のもっとも美しいアングル。時代劇で江戸城役によく使われる。西の丸広場より。
優雅な天守である。
西の丸多聞櫓。とにかく長い。
多聞櫓内部の部屋。
廊下。
一部新しい部分がある。昭和の初めに豪雨で倒壊した場所か?
姫路城は瓦のつなぎ目にも漆喰を塗っている。さすがは白亜の城。
女の館。
侍女と遊ぶ千姫(左)。彼女は徳川秀忠と江の間の娘である。大河ドラマの「江〜姫たちの戦国〜」にも登場するはずである。
彼女が過ごした化粧櫓。
化粧櫓付近から見る天守。千姫はどのような想いで見つめていたのであろうか。
いの門
ろの門。時代劇の撮影中に破損する事故があったという。
はの門の手前。敵に天守はすぐそこだと思わせる効果があるという。(実際はだいぶ先にある。)
はの門。
。はの門の裏側。窓がないのは敵に奪われた時に使わせないため。
二の丸付近から見る天守。
そこには忍者が!?
にの門。何やら恐ろしげである。
にの門の内部。上から攻撃するらしい。
乾小天守。秀吉時代の天守の木材で作られたという。
かなりダイナミックである。
ほの門。かなり小さい。
ほの門の背後にある油壁。秀吉時代の姫路城の塀で、敵がほの門に迫った時、これを壊してほの門を開けられなくするために残されたという。
水の一門。
油壁のそばにある姥が石。秀吉が築城する際石が不足し、ある貧しいお婆さんが石臼を寄贈した。秀吉はそれを聞いて大変喜び、それが町で評判となって多くの石が集まり、姫路城は完成したという。
腰曲輪。塩を蓄えていた。
内部の壁には現在でも塩がしみ込んでいる。
への門。
との門。置塩城の大手門を移築した為、他の門と比べて浮いている感じである。
備前丸から見る天守。
天守の下にあった本丸御殿と備前丸対面所は明治15年に失火で焼失。備前丸にあった多聞櫓群それ以前に破却されていたらしい。
それにしても巨大である。
天守内部。この奥に籠城用のトイレがある。
武者走り。
姫路城天守には本来あった階段と昭和の修理時に観光客用に増設された2種類の階段が混在する。有難迷惑な気がする。
火縄銃。多くの天守は平時は櫓と同じく倉庫として使われていた。
槍。
ぬの門。
お菊井戸。「いちま〜い、にま〜い」
高石垣。かつてこの上には備前丸の豪華な対面所があった。
るの門。昔は木製の小さな門がこの中にあった。
夕陽に当たる姫路城。
閉門。
姫路城のライトアップ。怖いくらい綺麗だった・・・

城の周辺

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