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水口城

将軍上洛の際、宿泊の為に築かれた城。


かつて水口の地には水口岡山城が築かれていたが、関ヶ原の戦いの際西軍につき落城。
その後水口は幕府の天領となり、徳川家光によって上洛時の宿泊用に現在の水口城が築かれた。
しかし家光以外の将軍は赴くことはなく、やがて加藤氏による水口藩の居城となった。
その後、明治の廃城令により、全ての建造物が破却されることとなる。


水口城の本丸出丸。江戸時代にはこの出丸に櫓はなく、出丸は土塀で囲まれていた。
本丸出丸にある模擬櫓。江戸時代にはここに番所があった。
模擬櫓内部。
模擬櫓天井。この模擬櫓の部材の10分の1は、民家に移築されていた水口城の櫓の部材が使われている。
この柱には移築した痕跡があり、本来の櫓に用いられていた柱だとわかる。
展示されていた水口城本丸の復元模型
従来の出丸の様子。
本丸御殿模型。徳川家光が一度宿泊したほかは用いられず、1713年に破却されてしまう。もったいない・・・
水口岡山城の図。水口岡山城は1585年に中村一氏によって築かれた山城である。関ヶ原の戦いで東軍の攻撃により落城し、城主の長束正家は捕えられて切腹している。その後廃城となった。
展示されていた五月人形。後ろの人物は謎・・・
ロケット弾のような火矢。
復興された大手門。内部はトイレ。この門の向こう側の本丸は高校のグランドになっている為立ち入り禁止・・・
水口城出丸の石垣。二条城の石垣と似ているような気がする。
水堀の水は湧水である。そのことから、水口城は碧水城とも呼ばれた。
本丸乾櫓石垣。本丸のその他の石垣は残っていない。
この石垣は上と下の積み方が違う。上のものは江戸時代に改修されたものなのか、現代に復元されたものなのか謎。
石垣修理の届け出の際書かれたこの図によると、本丸の隅には平櫓が建っていたらしい。
模擬櫓はその隅櫓を模しているらしいが2階建てである。シンボルとして二階櫓が上げられていた可能性もあるのではっきりしない。
閉門。

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