高知城
土佐24万石、山内家の居城
1578年、長宗我部元親は大高坂城を近世城郭へ改修を施した。
関ヶ原の戦いの戦功により土佐一国を与えられた山内一豊は浦戸城に入城、
1601年、一豊は大高坂山城に改修を行い居城とした。
大高坂山城は河中山城と改名されるも度重なる水害の被害を受けたことにより高智山城と改名。
後に高知城と呼ばれるようになった。
桂浜に残る浦戸城石垣。1591年、長宗我部元親は浦戸城の改修を行い、大高坂城から居城をここに移した。その後、山内一豊が居城を浦戸城から大高坂城に移した際、浦戸城は廃城となった。 | |
浦戸城天守台跡。かつてここに3重天守が上げられていた。 | |
山内一豊像。 | |
山内一豊の妻千代像。、彼女は持参金を使って高価な名馬を買い、それが織田信長の目にとまって夫の出世に繋がったエピソードを再現している。 | |
現存する高知城追手門と天守。追手門は1801年の再建。 | |
板垣退助像と天守。 | |
一豊時代の天守は1727年の大火で焼失したが1749年に復元された。天守を再建する際、一豊時代の天守を復元し、幕府への配慮から気持ち小ぶりに作られたという。 | |
4重天守にも見えるが一階部分の屋根は雨対策のもの。構造上は3重天守。 | |
天守の忍び返し。威嚇効果が高い。 | |
修復された野面積み石垣。 | |
高知城石垣を築く際、安土城築城で有名な石垣集団の穴太衆が加わっていたという。 | |
抜く人っているの・・・ | |
排水用の石樋(いしどい)。雨水対策。 | |
1730年に再建された、現存する黒鉄門。 | |
1802年再建の現存する詰門。 | |
詰門内部。 | |
天守と本丸御殿。1749年に再建されたもの。 | |
本丸御殿上ノ間。 | |
明治に破却された御殿にあった欄間。 | |
廃城令の波をくぐりぬけたアヒルさん。 | |
東多聞櫓内にいた足軽。 | |
天守1階に展示されていた模型。 | |
天守2階。高知城天守の天井は低い。(3層6階天守・・・) | |
展示されていた高知城模型。 | |
本丸と追手門以外は明治時代に破却されてしまった・・・ | |
天守3階。 | |
天守4階。 | |
天守の鯱。 | |
天守5階。 | |
天守最上階。 | |
高欄に出てみる。 | |
天守高欄からの眺め。 |