安土城

僅か3年で焼失した織田信長の夢


史上初の五重天守、総瓦葺きの城。
天下統一を目指す信長が岐阜城の次に居城とした。
豪華絢爛なこの城も、信長にとって摂津石山へのさらなる築城のステップに過ぎなかった。


安土駅にある信長像。「安土の山を、丸ごとひとつ城にせよ!」
安土城郭資料館にある安土城天主模型。あくまでも復元案である。
安土城のみ「天守」と言わず「天主」と呼ぶ。「天主」(神)は天皇に配慮して用いられなくなった。
上から見る天主。
織田信長のフィギュア。
断面。
内部。すごい精巧だ。
安土城に吹き抜けはあったのであろうか?
右側が観音寺山、左側の小さな山が安土山の模型。
巨大な観音寺山。かつてこの山にあった観音寺城は日本最大の山城で総石垣の城だった。しかしその大きさが仇となり、兵力不足の六角氏はこの城から退却して信長に攻略されることとなった。
観音寺山と比べるとかなり小さい安土山。当時すでに鉄砲の普及で山城は時代遅れとなっていたが、信長はこの山に安土城を築城した。防御力より見た目を優先したのだろう。
信長の館にある安土城天主。5、6階の部分がスペイン・セビリア万博に出展するために制作された。こちらもあくまで復元案だが、安土城天主の荘厳さが体感できる。
5階内部。ここでは仏教の世界が描かれている。
信長がいた6階。彼は仏を超えた神になろうとしたのだろう。
6階は金ぴかだ。金箔10万枚も使用したらしい。
復元された大手道。信長は天皇行幸の為にこの大手道を作ったという。彼は天皇を天主の脇の本丸御殿に住まわせ、自分はその上に立とうとしたのか?
かつては立派な御殿があったのだろう・・・
石段として使われた石仏。人々に踏ませる為にここに置かれたという。やはり信長は恐ろしい・・・
仏足石。
神秘の森・・・
織田信長公本廟 。奥にある石は一説では信長が人々に自分だとして拝ませた石だともいう。
天主台の階段。
天主台の上には礎石のみ残る。
天守台中央。ここだけ礎石がないことが安土城の謎の一つとなっている。
わきにある石垣は昭和になって積み直されたもので、実際はもう少し広かったらしい。
天主台から見る城下町。信長も見たであろう風景だ。
天主台から見る琵琶湖。干拓地が広がっているが、当時は手前にまで琵琶湖が広がっていた。
人間五十年、下天の内を比ぶれば夢幻のごとくなり・・・
              (信長)

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