明石城
徳川秀忠の命により、西国への押さえとして築かれた城。
大坂夏の陣の戦功により、信濃松本から明石の地へ移封された小笠原忠真によって1618年に築かれた城。
その後、松平氏などの譜代大名の居城として用いられた。
天守台は築かれたものの幕府への配慮から天守は上げられず、
本丸に築かれた4基の3重櫓が城のシンボルとなっていた。
JR明石駅のプラットホームから見る明石城。電線が邪魔・・・ | |
現存する水掘。鳩がいっぱいいた。 | |
明石城にある大洋漁業の創業者、中部幾次郎の銅像。ここにも鳩がとまっていた・・・ | |
三の丸から見る本丸の櫓。左が坤櫓(ひつじさるやぐら)で右が巽櫓(たつみやぐら)。どちらも現存している。 | |
坤櫓。城内最大の櫓で伏見城移築の伝承がある。 | |
こちらは巽櫓。高山右近が築いた船上城から移築されたという伝承がある。 | |
巽櫓内部。 | |
これは明治以後に補強されたもの。阪神淡路大震災で明石城は大きな被害を被ったが、櫓の倒壊は免れた。 | |
巽櫓から見る坤櫓。土塀は明治以後途切れていたが、資料を本に復元された。 | |
天守台石垣。5重天守の規模だが天守は上げられなかった。 | |
天守台の階段。 | |
天守台。 | |
天守台から見る坤櫓。 | |
背後から見る坤櫓。2重目の屋根は千鳥破風と唐破風が組み合わさった独特の形状で、伏見城時代の名残らしい。 | |
かつて本丸の北側にも3重櫓が2基存在したが、明治の廃城令で破却されてしまった。 |
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本丸にある人丸塚。柿本人麿を祀ったもので城の守り神だった。 |